『日本人のくらしと文化』~視点は卓越

尊敬する民俗学者「宮本常一」先生の唯一の講演集。
先生の本は、フィールド調査から過去の文化や今につながる文化を紐解いて下さりたいへん面白い。
本も何冊も読んでいるが、時々 地道過ぎてついて行けないものもあるが、これは講演ということもあり分かりやすかった。
この方のフィールドワークは半端なく徹底的です。
岩谷観音堂の浮世絵風の絵馬から浮世絵文化の伝搬を、鰐口から鋳造文化を、寄付帳から寄付者の広がりを・・・かように一つの民具や道具から足で情報を集めて調べていくというスタイルです。
おもしろい事例が、茶壷!
宇治はお茶の大産地で、大阪や京都のみならず江戸時代になると江戸へもお茶を運ばねばなりません、この器を宇治に近い信楽(良い土がとれる)が造っていたそうです。
江戸に運んだあとに、この茶壷は江戸にたまる。 そんじゃこのせっかくの茶壷を使って、狭山でお茶栽培が発達してくる、すると茶壷が足らなくなる、信楽の職人が笠間に移って茶壷をつるり笠間焼が発達する。 さらに笠間の人が飯能へ動いて飯能焼きとなる・・・実におもしろい。

琵琶湖の西側に比良山地があります、この山地に平行して街道が走っています。これを鯖街道といって、若狭の鯖に限らす魚などを京都へ運んだ道。
そんな街道は、京都の人たちが大阪からではなく新鮮な魚を求めたこともあるが、非常時は北へつながるルートを確保したかったからだという。
応仁の乱後、戦国時代も、混乱する大阪側(南の海側)だけでなく、若狭・越前との繋がりがあったからこそ街が復活できた。 足利氏が、蓮如がなぜ北へ逃げたのか、本願寺がなぜ北へまず進出したのか・・・そのキーワードがここにある。
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なるほど、比良を歩くと、登山口辺りには、写真のように立派な料亭や寺院がある。 比良山荘と明王院。想像するにきっとここだけではないだろう、街道沿いにはポツリポツリと残っているに違いない。

縄文時代は人口は26万人で西南日本より東北に人がいたことによる文化レベル、関東と関西の街の作り方、生贄と熨斗(のし)の話、女と稲作文化・・・どれもこれも教科書には書いていない興味深い話ばかりです。
あの遺跡へ、あの街へ、あの民家へ と行きたくなる・・・そんな本でした。 さて、次はどの山へどの街へ。

日本人のくらしと文化: 炉辺夜話 (河出文庫)
河出書房新社
宮本 常一

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この記事へのコメント

2019年04月03日 11:09
知らない街や村に行くと 縦看板になった故事・由来があります。
それを読みつなげていくと歴史探訪になるんでしょうね。
もう忘れられた歴史を掘り起こすって いいなぁ~。
本読みと山歩き
2019年04月06日 17:31
ログの大好きな徳さんへ
水上村なんて、きっと発掘すれば興味深い歴史があるのでは!?
読み継無く・・・いいですね~
もうちょっと、若ければそんなことも体系だって勉強してみたい。
いや、今からでも遅くないっと思うわけです。